どだい「親子の無条件の愛」などという幻想のドグマが実は最も有毒なのである。
そもそも“親子だから無条件で愛する”などという愛は、のっけから“親子だから”という制限が付いており、全く無条件ではない。
「自分の子」や「自分の○○」しか無条件に愛せないという人間に、他者を無条件で愛するなどという芸当が出来るわけがないではないか。
キリスト教文学的に言えば“罪びと”、庶民的な表記を採択すれば“しょうもないばかたれ”であるわたしたちに出来るのは、せいぜい人間関係の毒抜きぐらいなのである。